|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 交響 : [こうきょう] (n,vs) reverberation ・ 交響曲 : [こうきょうきょく] 【名詞】 1. symphony ・ 響 : [ひびき] 1. (io) (n) echo 2. sound 3. reverberation 4. noise ・ 曲 : [きょく, くせ] 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity ・ 第 : [だい] (n,pref) ordinal ・ 番 : [ばん] 【名詞】 1. (1) watch 2. guard 3. lookout 4. (2) bout, match (sumo) 5. (3) (one's) turn ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
交響曲第4番ヘ短調 作品36は、チャイコフスキーが1876年から翌1877年にかけて作曲した交響曲。 == 作曲の経緯 == 1877年にヴェネツィアを訪れたチャイコフスキーは、当地の風光明媚なスキャヴォーニ河岸にあるホテル・ロンドラ・パレス(当時はホテル・ボー・リヴァージュという名であった)にてこの曲を書き上げた。ホテルの壁面には「ロシアの偉大な作曲家、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが、1877年12月2日から16日まで滞在し、ここで4番目の交響曲を作曲した」と彫られた碑文が掲げられている。 この時期、メック夫人がパトロンになったことにより、経済的な余裕が生まれた。これによってチャイコフスキーは作曲に専念できるようになり、これが本作のような大作を創作する下地となった。このことに対する感謝の意を表して、本作はメック夫人に捧げられた。 なお、1878年3月1日づけ(ロシア暦、同2月17日付)の有名な手紙の中で、チャイコフスキーはメック夫人にあてて、この交響曲のプログラムに関する説明を試みている。この手紙は、交響曲第4番についてのみならず、彼の創作全般についての示唆を与えてくれる、貴重なものである(外部リンク参照)。 初演は1878年2月10日(旧暦。新暦では2月22日)サンクトペテルブルクにて、ニコライ・ルビンシテインの指揮により行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「交響曲第4番 (チャイコフスキー)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|